ハリス教団に参加(1)

畠山らの一行が合流して間もなく、ハリス教団はアメニアからブロクトンに移住した。ブロクトンはナイアガラの滝からエリー湖沿いにオハイオ方向へ辿っていくとみつかる。この「ブロクトン」という地名は、英語 では、Brocktonとkが入るべきなのに、入らないBroctonというヘンな綴り。音もブロ「ン」クトンと「ン」が入るのがしっくりするので、この サイトには、英語の綴り間違い、日本語の表記ミスがあるかと思うが、正しくは「Brocton=ブロクトン」。 続きを読む ハリス教団に参加(1)

ハリス教団参加(2)

折しも日本は長州征伐から、高杉が長州男子の肝っ玉をお見せしている頃で、本国の争乱と困窮は薩摩から留学生への送金に支障をきたした。

ここに救いの手を差し伸べたのが、日本駐在の経験を持つイギリス人外交官、ローレンス・オリファントであった。自分と一緒にハリス教団に参加するなら、アメリカ行きの旅費を負担する、教団では生活費がかからず、学習も出来る、という話であった。 続きを読む ハリス教団参加(2)

ハリス教団から離脱

畠山らがハリス教団にいた期間をよく「2年間」というので鵜呑みにしていたが、年月日を追うと、畠山らがハリス教団に参加したのは、どんなに長くとも、UCLでの学期の終わる67年の6月から、ラトガースのグラマースクール入学の翌年68年9月までの1年あまりである。 続きを読む ハリス教団から離脱

森と鮫島の帰国

畠山がブロクトンを離れ、就学と金策に走り回っている同じ頃、森と鮫島は、日本へ帰国のため、ブロクトンを発った。

林竹二氏の森研究には、 アメリカを離れる時点での森、鮫島から残りの仲間たちに宛てた手紙が載っているが、そこにはハリスの預言成就のため、とは書かれていないが、 同氏の研究によれば、ハリスの「日本の予言」成就のためだという。 続きを読む 森と鮫島の帰国

ハリス関係の日本人

花房義質と結城幸安と柘植善吾と中井弘

畠山がハリス教団を離れてすぐ、土佐の結城幸安がブロクトンを訪れている。当時、結城も花房と一緒にボストンにいた。

林氏の論文によれば、結城は5/22~29にブロクトンにいたそうだ。彼がブロクトンに到着したときは、正に分裂騒動のまっただ中であったらしい。畠山は花房への手紙の中で、「さて結城子もよんどころなき訳合にて御地滞在のよし、なんともお気の毒千万、紙上に述べがたき次第にござ候(漢字を平仮名にしてます)」と言っている。 続きを読む ハリス関係の日本人