畠山義成の人生

元治2年3月(1865年5月)、 薩摩英国留学生の一人として、現在の鹿児島県いちき串木野市羽島の海岸から密航出国した畠山義成は、杉浦弘蔵と名を変え、ごく初期の国際人となる第二の人生を歩む。

イギリスからアメリカへ、そしてヨーロッパへ渡り、再びアメリカへ戻って岩倉使節に合流。その後、日本へ帰国して、学監モルレーと共に、日本に国立大学と高等教育の基礎を築く。

その偉大にして慎ましい人生はあまりにも知られていないようなので、ここにご紹介します。

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