黒船以前
黒船が日本にやってくる以前にも、当然日本と英米間には接触がある。アメリカに偏ってますが、主な事件、人物を紹介。
フェートン号(英)1808年
英国が長崎でオランダ船を攻撃した事件。
大津浜事件 1824年
水 戸藩領内、大津浜沿岸に英国人12名が上陸、水戸藩がこれを全員捕えて、尋問する。身ぶり手ぶりと絵で尋問をした水戸藩の会沢正志斎は、この経験から『暗 夷問答』を記す。会沢正志斎は、藤田東湖の父、幽谷の門人で、この翌年に書いた「新論」(発禁本で、匿名として安政年間に出版されたらしい)が久留米藩の 真木和泉、吉田松陰などに大きな影響を与えた幕末思想界の大重鎮。この事件に関する英語の資料があまりみつからないので、本文はなしですが、この頃の水戸 藩について知ると、20年くらい感覚が早い水戸藩の偉大さに恐れ入ります。
モリソン号と音吉 1832年
遭難して現在のカナダ/アメリカ西海岸国境付近に漂着した3人の尾張の漁師をマカオから日本へ送り返そうとするが、浦賀で砲撃され日本帰国は果たせない。モリソン号事件と呼ばれる事件。
中浜万次郎(ジョン万次郎)1842年
土佐の漁師で、太平洋で遭難、米国捕鯨船に救助され、米国滞在のあと、帰国。故郷の土佐に帰り着く。
サマラン号(英)1845年
イギリスのフリゲート戦艦サマラン号が、長崎に来航。測量などを行う。
ジェームス・ビッドル 1846年
成功しなかった日本への開国要請ながらも、浦賀に停泊。実際の米国による開国騒動はこの事件から始まる。
レナルド・マクドナルド 1848年
日本に憧れ、小舟で利尻にたどり着く。松前藩から長崎に送られ、10か月間を囚人として暮らすが、この間に12人の日本人に英語を教える。日本で初めての英語を母国語とする英語教師となる。
ジェームス・グリン 1849年
そのマクドナルドを米国戦艦プレブルで救出に来るのが、ジェームス・グリン司令官。開港を求め、平和的に応じない場合は、戦力による要請をかけるという発言が有名。マクドナルドほか、18(16?)人のアメリカ人(主に捕鯨船ラコダ号乗組員)を連れて帰国。
ジョセフ・ヒコ/浜田彦蔵/アメリカ彦蔵 1850年
江 戸からの旅の帰りに太平洋で遭難。アメリカ船に救助され、サンフランシスコに到着、後にボルチモアでアメリカの教育を受け、米国民に帰化。リンカーン大統 領と握手をした唯一の日本人となる。その後、ハリス通訳として日本へ赴任し、幕末から明治の日本で活躍する。横浜で新聞を刊行、新聞の父とも呼ばれる。
ヒコの件は、彦蔵のページを御覧下さい。
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