金策2:フェリスの援助

フェリスは、オランダ改革派教会の海外ミッション責任者で、横浜のフェリス女学院のフェリスである。細かく言うと、フェリス女学院の方はアイザックらしいので、留学生が関係したフェリスはその息子のジョン。

モンソン留学生一行(薩摩第二次留学生)は、元々フルベッキの関係でモンソンへ行ったともいわれており、また、モンソンには同教会から日本へ派遣されていたブラウン牧師(サミュエル・ロビンス・ブラウン。この頃、自宅の火災でモンソンに帰っていた)もいたので、畠山たちにフェリを介した援助が出るのは、モンソンの仲間たち、及びブラウンの紹介もあったことだろう。

モンソンアカデミーはブラウンとは関係が深く、また、ブラウンはモンソンのオランダ改革派教会の牧師でもあり、母親も地元では知られている熱心な信者で、賛美歌の何番だかを作った人としても知られている。薩摩第二次留学生がモンソンアカデミーへ入ったのはブラウンの関係である。
畠山はモンソンの薩摩留学生、更に既にニューブランズウィックにいた横井兄弟、日下部太郎(福井藩士)を介してフェリスに面会し、ことの次第を話し、教師の斡旋などを頼んだ。フェリスは畠山の話に驚いて、直ちに自らラトガースへの就学を図ってくれた。
これをモンソンの仲間たちに報告したところ、どうやら畠山とそれほど日を置かずにブロクトンを出たとおぼしき吉田も、モンソン経由でニューブランズウィックへやって来て、畠山に合流する。6月26日には、松村もやって来 た。

この3人のために、フェリスは1か月45枚の洋銀という金策にも応じてくれ、3人は無事、9月からラトガースへ通うことが出来るようになった。

余談だが、この洋銀45枚というのがいくらに相当するか、ということを未だに調べていない。

 

 

コメントを残す