フォッグの周辺

モンソンの留学生を支援していたといわれる「ホーク」、即ち、Foggについてのいろいろを、やや支離滅裂的に以下に紹介する。

Foggは、現在ハーバード大にあるFogg Art MuseumのFoggで、このコレクションを同大学に寄付したWilliam Hayes Foggと思っている。尤も、これは私がそう思っているだけで、確たる証拠はない。

このFogg Art Museumというのは、つい最近まで別の建物だった(行ったことはない)のが、最近どうも1つにまとまったようにみえる。Fogg自身はハーバードとはなんの関係もなく、単に、夫人が遺品を寄付した、という関係だという。

留学生の話に出てくる「ホーク」がこのFogg MuseumのWilliam Hayes Foggだと思う理由は(ホーク=Foggという前提で)、美術館のサイトに載っている説明と、彼の故郷であるOld Berwick Historical Societyのウェブサイトにある説明、 更に、その甥だと思われるHoratio Nelson Twomblyという人についての紹介(ダートマスカレッジの1854年卒業生に関する本、1898 年)による。

このダートマスカレッジ卒業生の本のTwomblyの紹介文には、「モンソンアカデミーに行っていたはじめの日本人留学生の面倒を見ていた」ことが出ている。

以前は、このTwomblyの叔父でChina and Japan Trading CompanyをやっていたというWilliam Hayes Foggが留学生たちの言うホークだろうと思っていたが、最近はこのTwombly自身が留学生の手紙に出てくるFoggではないか(Twombly は母方の姓らしい。Fogg一族の人)とも思っている。というよりも、この一族、すなわち会社を指していて、個人ではないかもしれない。

上記の本によれば、叔父たちのやっていたChina and Japan Trading Company(代表者がWilliam Hayes Fogg)の中国支店をやっていた別の叔父のHiramと、Twomblyが中国でのビジネスをしていて、Hiramが死んだので(いつかは書かれていな い)、Twomblyが中国支店を受け継いだようだ。

 

ロビネット

モンソンの薩摩留学生を引率したのはロビネットという人だといわれるが、彼はFoggのやっていたChina & Japan Trading Co.にいたとみえる。これは、横浜の開港記念館にある、開港地のDirectoryまたはRegistryのようなものでもわかると思うが、長崎大のやっているウェブサイトの中の長崎の外人一覧のようなものに出ている。

オランダ語(?)のサイトで、ウェブサイト自体が何なのか不明だが、ここにも出ている。

ここにはJohn F. Twomblyという人が出ているが、この人はモンソンの留学生の面倒を見ていたというHoratio Nelsonの兄とみえる(Ancestory.comの情報)。

Willaim Hayes FoggとHoratio Nelson Twomblyの詳しい関係がわからないが、母親がFogg一族の人なので、母方の叔父(日本でいう「叔父」ではなく、親同士がいとこもあり得る)なのではないかと思う。

つまり、モンソン留学生の渡米にはChina & Japan Trading Co.が密接に関係したと考えられる。

それとは別に、Horatio Nelson Twomblyについて書かれている上記の文には、彼が上海にいたときにFrederick Townsend Wardと関係していたことも紹介されている。

Wardは、太平天国の乱を鎮めるために組織された軍(「常勝軍」)の指揮官。といって、軍人ではなくこの時代は妙な西洋人が東洋にたくさんいるが、その一人ともいえる。TwomblyはWardが怪我したときに手厚く看病した、などと載っているので、つまりWardに軍を組織させた西洋商人の一人だろう。

常勝軍の日本語Wikiを見ると、高杉が「常勝軍の活躍に注目し、後に奇兵隊結成を構想した」と書かれているが、これは高杉の日記に書かれてあるのだろうか。高杉の日記は最近近デジで読めるようになっているが、主に漢文なのでよくわからんから情けないではないか。

しかし、最近出た千歳丸(高杉や五代が乗った上海見学の船)に関する本(”Maiden Voyage”, Josha A. Fogel)では、「常勝軍の徴兵制が奇兵隊の武士以外の徴兵に影響しているだろう」と言っているので、恐らく日記などに明記してはいないと 思っている(Fogel氏は中国語、中国史の専門家で、千歳丸乗組員の日記に詳しく、”Maiden Voyage”はそれらを紹介した本)。日本語のWikiからは、いわゆる奇兵隊のゲリラ戦法について、常勝軍からヒントを得たのだと思ったため、どうして?と思っていたが、そうではなく徴兵制の方を意味しているようだ。

Wardが活躍していたのは千歳丸の頃で、Twomblyが介抱したという怪我は恐らく死ぬ頃の話なので、62年9月頃と考えると、つまり、五代が上海に行ったときにTwomblyも上海にいると考えられる。恐らく、イギリスのパークスもその頃上海にいる。

千歳丸の一行はオランダ人の商人が連れて行ったというが、Maiden Voyageによると、五代が上海でどうやって船を買ってきたのかは謎、買ってきた船がどこの国の船かも確たる情報がない、そもそもどうやって船を買うほどの金を運んだかも謎だという。

しかし、私は学者ではなく、ただの愛好家なので、証拠がなくても当然ここは結びつけてしまう。

千歳丸よりも先に日本を出た福沢諭吉が乗った隊だったか、その後の池田長発の隊だったか、遣欧使節の人が、彼らが帰ってくるときだったか行くときだったかに、上海で上野景範(開成所の洋学教師)の一行に会った、という話を「旧事諮問録」でしている。上野たちは遭難したと言ったらしいが、当然バレバレだった。この旧事諮問録の質問者の中にいる重野安繹は (-_-;)アセ だったろうと思って笑ってしまうが、このあたりが非常に気になる。薩摩は早くから上海に常駐しているようなので、上野と一緒ではないにしろ、上海にいた誰かがイギリスかアメリカへ行った留学生に入っている可能性は高い。上海でブラウンと知り合っている可能性もあるだろう。上野が開成所の教官であること、吉田がその学校の優等生であったこと、その後、70年に上野がアメリカ経由でイギリスに行った時に吉田が同行していることなどから、吉田は上海にいたのではないか?などとも思う。

更に、上記のTowmblyの紹介にはSeward-Berlingame条約というのも出ている。アメリカ 人の中国公使バーリンゲームが中国を代表してアメリカを訪問して条約を締結してしまう、という驚くべき状況(条約の内容から、善意でしたことと解釈されているらしい)だったので、デロング公使が岩倉使節を引率していったときに、バーリンゲームの再来か?!ということでイギリスを始めとするヨーロッパ諸国に猛烈に反発された。

Seward(スワード、ソワードとも書かれるが、ここではシワードと書く)というのは当時のアメリカの国務長官で、ブラウン牧師とごく近所に住んでいた。バーリンゲームの後、このシワードの甥が上海公使を務め、後に中国大使になった。

このFoggおよびTwomblyがやっていた貿易会社などについては、自分は、苦力貿易に関わっていたと踏んでいる。まともな商社は、たとえ当時でも苦力貿易をしているなどとは宣伝しないので、恐らく記録をみつけるのは無理だろうが、当時の中国からアメリカへの一番の輸出品目は労働者、特に鉄道施設のための労働者である。この貿易をしていた会社はたくさんあるはずだ。

従って、もしかすると薩摩藩も苦力貿易に関心があった、という考え方もできる。

北軍は要するに奴隷解放側の勢力だが、その傍らで鉄道開発をものすごい勢いで進めており、そこから、とんでもない金持ちが何人も生まれた。アメリカの鉄道敷設は中国人苦力なしにはあり得ない。人道的には矛盾しているが政治的には矛盾しない、ということだ。バーリンゲーム条約も中国人移民を奨励しているようだが、実情としては苦力の便宜ではないのか、と思う。

苦力問題としては、マリア・ルス号の騒動が知られている。

奇しくも、ハリス教団のところで出てくる花房義質が担当した事件としても知られるが、このときに、ペルーは日本に領事がおらず、アメリカが代行(=デロング公使がペルーを代表)したので、デロングは、当時日本にいたエドワード・ハウスというNYトリビューンの記者に猛烈に攻撃される。ハウスは70年からだったか日本にいて、グリフィス(ラトガー スから福井〜南校/開成学校などにいたWilliam Eliott Griffis)と親しく、フルベッキが責任者だった時代に、開成学校の前身(南校)で教授もしていた。

デロング(も共和党側)はマリア・ルスからの影響で公使をクビになっていると思うので、共和党とひとくくりにしてしまうのも的外れではあるが、アメリカにいた日本人留学生と日本にいたアメリカの商社には、商売だけでなく、なんらか政治的な力が関係していると考えている。

さらに、この苦力貿易グループには、ヴァン・リード(高橋是清を奴隷に売ったと言われる。これは高橋是清の誇張だと思っているが)や鉄道敷設の件で詐欺をしたといわれる(自分は詐欺だとは思わないが)レイというイギリス人もいるとみている。そしてヴァン・リードが中心になっていた事業にハワイ移民があったが、上野は70年だったか、アメリカに来る途中でハワイに立ち寄っている。

ミッシングピースは多いが、キーワードのいくつかは共通項を持っているようにみえる。

 

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