畠山の教育論:学校納金ニ関スル意見書

早稲田大学図書館のウェブサイトにある「古典籍総合データベース」に、大隈重信関係の文書がいろいろ公開されている。その中に、ときの開成学校長であった畠山中督学から松方正義大蔵大輔に宛てた「学校納金ニ関スル意見書」という書類がある。

意味がいまひとつわからないところもあるが、ぜひご教示いただきたいので、恥ずかしながら以下に口語訳を載せる(読み下し文は書けないからだぞ)。畠山が高等教育をどのように考えていたかがわかって非常に興味深い。学校納金に関する意見書

先日会ったときに詳しく話した学校の収入金のこと、改めてここに書いておくので読んでいただきたい。

現在、政府省庁や府県の納金を収入とする規則がある。その規則に基づけば、学校の納金も、これに従うべきものに見えるだろう。しかし、学校は他の省庁とは違う。司法の裁判所、陸軍の鎮台、文部の督学局など、その他の寮はもともと各省の文課なので、その納金を収入するのは理由がわかるが、学校というのは同じではない。全く各庁と同一視してはならないものである。

現在、学校には、官立、公立、私立の三種類がある。官立というのは人民一般が払う税金から、その幾分かを費用にあてて、文部省が直轄している。公立はその地域の人民に割り当てて負担させるものをいう。私立は学校資金が基になっていて、政府や人民の共同の出資によらず、個人が私設するものである。

西洋諸国では、官立というのは海陸軍学校を除いては稀で、公立、私立のものが極めて多い。官立学校はない、といっていいほどである。なぜ官立が少なく、公立私立が多いかといえば、もとより学問は人の人たるところを学ぶものであるから、あえて他の力を借りずに、自ら奮闘興起しなければならないものであるからだ。

しかし、現在のわが国では、人民は貧困で学費を出して学問をするなど不可能な場合がほとんどである。加えて、わが国の人民は、その身を政府に委ね、その知識が開かれたものか、開かれていないものかは、政府がどれほどの教養を持っているかに依存していて、近頃の時勢になっても、依然としてみな同じである。

学校は官の力によらず、人民自らが設立するべきものだが、これらの事情からすぐに変更はできない。年月をかけて、徐々に行うのでなければこれまでの悪癖も一新できない。それ故に、いましばらくはやむをえないものとして、官より学費を補助するのであって、それが学校の目的ではない。

例えば開成学校のような立場の学校を永世不朽に維持する制度を作るには、百数万円の資本を一度に集めて、その金を貸し付け、その利子で学校一切の費用をまかなうような確実な方法がなければならない。ところが現在の学校たるものは、官公私を問わず、概して資本金なく、文部省直轄学校などは、文部省に定められた予算の増減によって、補助金の額も変わる。つまり、補助金の額が大きければ教養の道は拡張され、少なければそれは縮小する。これでは朝に決めた目的が暮には変更になる嘆きを免れない。資本金がないばかりに、時によって浮き沈みが起き、今をようやく維持するのみである。

現に開成学校では、その補助金が不足する月には、臨時に教材などを購入し、そのとき不要な教材を売ってその入金を支払いに当てている。従って、今、学校の入金を政府に収めると、教育上の進歩におおきな支障をきたすことになる。

今後、学問は「人智日に開け月に将む」のとおり、どんどん進歩する。そのため、学校は西洋の諸国のように、官の援助を借りないで発展し、公立私立の学校が全国に星の数ほどできるだろう。

現在は、後日に果実を得るために種を蒔くときであるのだから、ほかの省庁と同一視して普通の事務と同様に取り扱ってはならない。文部省直轄納金のごときは、府県の学校に配布する文部省の委託金と同様に見て、昔は政府の収入にしなかった。これは要するに、人民教育の道を拡張するためにそうなっている。故に、いま官金を使い、その額を償還できないが、いつかその資金で百工技術や、理財その他、法律など、価値ある学士を輩出して国の用に足りることになる。これが誓って学生らの義務とするところである。

以上、とくとお考え頂きたい。

明治8年12月
中督学 畠山義成

大蔵省大輔 松方正義殿

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明治8年12月というと、既に畠山は結核に蝕まれていて、学監モルレーさんは既に万博参加その他のためにアメリカへ発った後。同じ頃に文部省から万博への参加が決まっている。

状況がいまひとつ不明及び自分の解釈が正しいのかも不安だが、学校には収入があり、大蔵省はそれを政府に戻せ、といい、畠山は学校の金は政府には戻さない、なぜかというとこーゆーことだ、と述べているのだと理解した。更に、学校というものは政府が運営するべきものではない、ということを言っている。

収入とは学費だろうか。開成学校やその予備門的な外国語学校は、一時期私費による有料になったり、藩ないし県から費用が出たり、官費で生活費まで出たり、めまぐるしくシステムが変わる。よって、細かく検証しないといつのどういうことを指しているのかがわからないが、政府はあくまでも現状によってやむなく金銭的に援助をしているが、いわゆる政府予算で学校のカリキュラムが変動してはいけない、ということも言っている。学校がトラストを持ってその金を運用することで学校の費用を賄うということも言っていて、こういう金銭的な運用をこの時点で理解して導入すべしとしている明治政府の人間は果たしてどれくらいいたのだろうか。

また具体的に詳細がわかれば追記する。

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