ハリス教団に参加(1)

畠山らの一行が合流して間もなく、ハリス教団はアメニアからブロクトンに移住した。ブロクトンはナイアガラの滝からエリー湖沿いにオハイオ方向へ辿っていくとみつかる。この「ブロクトン」という地名は、英語 では、Brocktonとkが入るべきなのに、入らないBroctonというヘンな綴り。音もブロ「ン」クトンと「ン」が入るのがしっくりするので、この サイトには、英語の綴り間違い、日本語の表記ミスがあるかと思うが、正しくは「Brocton=ブロクトン」。

当初、鮫島尚信と吉田清成が66年夏に オリファントに連れられてアメリカへ渡り、一旦イギリスへ帰国した翌年、畠山、森、松村、長沢を加えたイギリス留学組は、1867年7月末から8月にかけて、まだアメニア(NY州中部)にあったハリス教団に参加した。NY Timesでは、8月7日にオリファントがニュ−ヨークに着いているが、日本人の名はみつからない。

その後、教団はすぐエリー湖畔のブロクトンへ移り、モンソンにいた薩摩アメリカ留学生も合流したといわれる。

自分は、モンソンにいた5人の留学生は、ハリス教団を訪れたことはあっても、「参加」はしていないと考えるが、仁礼、湯地、江夏はブロクトンに出向いている。吉原、種子島については、訪問していないように思える。

グリフィスはハリス教団を「ソーシャリスト(社会主義者)」と言っているが、これは、そう書いた後年の時代背景が混ざっていて、畠山がいた時代の感覚ではないと思う。

ハリスは、この地(ブロクトン周辺)をSalem of Erieと呼んでいた。

ハリスと共にブロクトンに入植したのは75人だそうで、彼等は農業畜産その他に励む自給自足生活をしていた。ブロクトンの辺りは現在もブドウ畑がたくさん あってワイナリーが多く、現在はジュースで有名なウェルチ(Welch’s)の本拠があるが、ハリスの一団もここでワイン造りに励んだ。彼等がこの地のワイン産業を開発したともいうが、教団は後にカリフォルニアに移住し、長沢鼎が引き継いだファウンテングローブのワイナリーで成功を収めた。このあたりの ことは、長沢鼎に関する資料等に詳しい。

その頃、欧米世界は世紀末にさしかかり、アメリカでは南北戦争が終わり、今でいうところのカルトや新興宗教を含めて、あらゆる宗派が輩出した。アメリカでは宗教を母体とする集団が各地に入植して、産業を興す役割の一端を担っている例が多々ある。シェーカー(家具)やクエー カー(オーツ麦)などがよく知られている。ハリスの一団もその1つと考えられる側面を持っている。NY州ブロクトン、後にカリフォルニアで、ワイン産業に成功を収めたハリス教団が、かシェーカーやクエーカーのように知られていないのは、宗派としての規模と成功の規模が小さいせいにもよるが、シェーカーやクエーカーが聖書を基にした クリスチャンの一派であり、ハリス教団が要するに異端の悪魔的集団と考えられていたところにも要因がある。

それと多少矛盾するが、アメリカでは、昨今は特に、「信教の自由」問題にも触れることもあって、意図的にこういった説明が面倒な宗教集団に触れない傾向がある。しかし、そこに触れないとハリス教団とワイン産業の説明がつかない。さわりだけ触れるには非常に面倒な集団である、ということも、産業史上での扱いを小さくさせているだろう。

しかし、ハリスの一団は、NY州エリー湖畔の地で殖産に成功した集団として、ブロクトン周辺では知られている。オリファント母の投資でワイン会社を成功させた無賃労働者集団、と考えることもできる。自分の個人的な見解では、ブロクトン周辺では、この集団を地域おこしのパイオニアとして紹介してもやぶさかではないのだが、そ うすると、ハリスの宗教について言及しなければならず、そこが面倒なのであまり前面に出さない、というような傾向が感じられる。

ハリス教団の概要

教団は当初、NY州中部のアメニアにあったが、オリファント(の母)の献金が大きく影響して、ブロクトンに広大な土地を購入して移り住んだ。畠山らの一行は、当初アメニアへ移住し、ほどなくブロクトンに移ったものらしい。

その教義は、ハリスの霊言によって行いを決定する独裁的な側面もあるが、全体がひとつとなって、所謂「神の約束する地」を築くために、無私となって労苦を共にするというものであったようだ。

そこでは、全員が同居生活するのではなく、夫婦、親子兄弟という現世界でのつながりから離れ、ハリスの決定に従って、いくつかの小屋に別れて住み、その小屋への分かれ方も、ハリスの霊言による決定に従って随時変わる形態のものであったという。

この辺りは、所謂コミューン型の宗教集団の生活形態と大差ないものと考える。コミューン型というのは、つまり、信者がひとつところに集まって共同生活を営む ことを勝手にそう呼んだが、例えば、ガイアナの集団自殺のジョーンズ教団(人民寺院)や、テキサス州Wacoのデビッド・コラッシュの教団などがセンセー ショナルな例として有名だろう。彼等ほどセンセーショナルでない集団は、話題にならないが、アメリカには各地に現在も多く存在している。

畠山ら日 本人一行がその他の教団員たちと全く同じ生活をしていたのか、多少の融通がきくゲスト参加的な位置であったのかは不明だが、農耕畜産に従事する点では、他のメンバーと同様であったようだ。地元の新聞では大工仕事をしていたことがわかる。教団は、一般社会から隔離された社会にあったが、余剰生産物の売買やレストランなども経営し、全く外の世界から隔絶されてい たわけではなかったようだ。

元が武士である薩摩留学生たちにとって、農夫や大工仕事をする生活は、慣れないことでもあり、大変ではあったろうが、教団の目指す清廉にして精神的な生活は、武士教育とそれほど離れたものではない。その点については、むしろ、他の教団員たちよりも苦労がなかったようだ。

所謂「コミューン」と聞くと、アメリカの場合、ヒッピー世代のコミューンが連想されるので、映画「イージーライダー」に出てくるような、フリーセックス的な 集団か?!とも思われがちだが、そうではない、という否定材料はない。全員が「骨肉の交わり」を持つ、などという表現もされている(吉田の書簡にあるらし い)ので、或いはそういう意味か?とも思わないではないが、自分が見た限りでは、どの資料にも、禁欲的な教団とされている。

しかし、禁欲的であると、子孫が増えない、即ち、将来的に教団は先細るので、どうだろう。尤も、オハイオ州だかケンタッキー州だかにあった教団で、教団内では全く子孫を作らない、即 ち、外部から一代限りの参加のみで存続した、という教団の史跡を見たことがあるので、完全に禁欲的な集団がないということではない。当時の欧米は真剣に「世紀末」であり、地球が終わると考えていたために、子孫存続を故意に避けていた集団も少なくない。

それとは逆に、この手の教団が現在のアメリカで糾弾される場合、(多くは教祖、或いは教団代表の)一夫多妻制が理由である場合が多いが、ハリスの教団は一夫多妻制と書かれているのは見 たことがない。その辺りのことを詳しく書いた本はまだ読んでいないので、今後目にすることがあればアップデートする。

余談だが、ハリスについて書 かれた資料には、ごく短く薩摩留学生のことに触れているものがある。しかし、「日本人の貴族、又はプリンスもいた」というような表現になっていて、詳しくは書かれていない。長沢を置いて、彼らがブロクトンを去った後、彼らに帰国命令が出たことが新聞に載るが、そこには、「葡萄作りを学んだり、大工をしたり していた」と書かれ、「優れた大工仕事をした」などと書かれてある。

年少だった長沢鼎は畠山らがニューブランズウィックへ移った後もこの教団に残り、ハリスについてカリフォルニア州 のサンタロサ(サンフランシスコの北)まで行き、ファウンテングローブ・ワイナリーというワイン産業を始める。後にこのワイナリーはハリスから長沢に売ら れて大きな成功を収めた。なんでもこのワイナリーは1934年まで長沢が所有していて(この年に長沢は死亡)、1937年に子孫がアメリカ人に売って、その後、牧場になっていたそうだが、2007年から、ナガサワ・コミュニティー・パークというのになっているそうだ。

長沢のことは全然知らなかったが、ワイン関係で調べると、どこにでも出ているカリフォルニアワイン界の有名人らしく、また、ごく初期(初めての、でないのであれば)の日本人移民であるようだ。最近では長澤に関する記事はいろいろあるので、詳しくはそちらを参照されたい。

蛇足だが、1937年というと、太平洋戦争開始間際なので、もし、この時に戦争と関係なく売っていたのであれば、長沢一族の先見の明というのはスゴいかもしんない。戦争が始まると、カリフォルニアの日本人移民は漸く手にした農場を没収されて強制収容所に送られてしまう。それ以前に成功したワイナリーとして 売っているのであれば、ひとごとながら嬉しい。

以上、ハリス教団に関しては、ブロクトン、サンタロサの歴史について書かれた本のほか、ハリスやオリファント自身の著作、日記や書簡、ハリスについて書かれ た本などを参考にしているが、わたくしがしておったのは研究ではなく読書なので、何がどれに書いてあったかは覚えていないのですみません。以下はそれらの 例。なんか、ワインの本なども読んだが題名わからん。

A prophet and a pilgrim : being the incredible history of Thomas Lake Harris and Laurence Oliphant / by Herbert W. Schneider and George Lawton.

The Life and world-work of Thomas Lake Harris, written from direct personal knowledge / by Arthur A. Cuthbert.

The new republic A discourse of the prospects, dangers, duties and safeties of the times  / by Thomas Lake Harris

Prophet of Japan / by Thomas Lake Harris

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