市民軍参加

Andrew Cobbing氏のThe Satsuma Students in Britain: Japan’s Early Search for the essence of the Westのただで読める部分を読んだところでは、薩摩留学生たちはUCLには学費を払っているようだから、通ってはいたようだ。が、そこには、畠山がWoolwich(ロンドン西部)にあったロイヤル・ミリタリー・アカデミー(英国の士官学校)へ入ろうとしていたことに触れている。 続きを読む 市民軍参加

アメリカへ転出

林竹二氏の「森有礼研究第二~森有礼とキリスト教」によると、畠山がフランスなどに行っている1866年の夏休み、松村淳蔵と森有礼はロシアに行き、鮫島尚信と吉田清成はオリファントに連れられて、米国NY州中部、アメニアという町にいたトーマス・レイク・ハリスのもとを訪ねている。アメニアでハリス教団に触れた吉田と鮫島は、この集団に多大な関心を抱き、翌年、イギリスから以下のメンバーでアメリカへ転出した。

  • 畠山義成
  • 松村淳蔵
  • 吉田清成
  • 長澤鼎
  • 森有礼
  • 鮫島尚信

続きを読む アメリカへ転出

ローレンス・オリファント

畠山ら薩摩留学生に、アメリカ転出の計画がもたらされたのは、吉田、鮫島とオリファントの影響であるそうだ。

オリファントは、開港間もない日本を訪れたエルジン卿について来日した。この見聞を書いた本を読んで、若きアーネスト・サトウが東洋の神秘の楽園に憧れたと、彼のA Diplomat of Japanに書かれている。 続きを読む ローレンス・オリファント

ハリス教団に参加(1)

畠山らの一行が合流して間もなく、ハリス教団はアメニアからブロクトンに移住した。ブロクトンはナイアガラの滝からエリー湖沿いにオハイオ方向へ辿っていくとみつかる。この「ブロクトン」という地名は、英語 では、Brocktonとkが入るべきなのに、入らないBroctonというヘンな綴り。音もブロ「ン」クトンと「ン」が入るのがしっくりするので、この サイトには、英語の綴り間違い、日本語の表記ミスがあるかと思うが、正しくは「Brocton=ブロクトン」。 続きを読む ハリス教団に参加(1)

ハリス教団参加(2)

折しも日本は長州征伐から、高杉が長州男子の肝っ玉をお見せしている頃で、本国の争乱と困窮は薩摩から留学生への送金に支障をきたした。

ここに救いの手を差し伸べたのが、日本駐在の経験を持つイギリス人外交官、ローレンス・オリファントであった。自分と一緒にハリス教団に参加するなら、アメリカ行きの旅費を負担する、教団では生活費がかからず、学習も出来る、という話であった。 続きを読む ハリス教団参加(2)