ハリス教団から離脱

畠山らがハリス教団にいた期間をよく「2年間」というので鵜呑みにしていたが、年月日を追うと、畠山らがハリス教団に参加したのは、どんなに長くとも、UCLでの学期の終わる67年の6月から、ラトガースのグラマースクール入学の翌年68年9月までの1年あまりである。 続きを読む ハリス教団から離脱

森と鮫島の帰国

畠山がブロクトンを離れ、就学と金策に走り回っている同じ頃、森と鮫島は、日本へ帰国のため、ブロクトンを発った。

林竹二氏の森研究には、 アメリカを離れる時点での森、鮫島から残りの仲間たちに宛てた手紙が載っているが、そこにはハリスの預言成就のため、とは書かれていないが、 同氏の研究によれば、ハリスの「日本の予言」成就のためだという。 続きを読む 森と鮫島の帰国

ハリス関係の日本人

花房義質と結城幸安と柘植善吾と中井弘

畠山がハリス教団を離れてすぐ、土佐の結城幸安がブロクトンを訪れている。当時、結城も花房と一緒にボストンにいた。

林氏の論文によれば、結城は5/22~29にブロクトンにいたそうだ。彼がブロクトンに到着したときは、正に分裂騒動のまっただ中であったらしい。畠山は花房への手紙の中で、「さて結城子もよんどころなき訳合にて御地滞在のよし、なんともお気の毒千万、紙上に述べがたき次第にござ候(漢字を平仮名にしてます)」と言っている。 続きを読む ハリス関係の日本人

ふたたび金策(69年)

68年にラトガースへ入った三人の薩摩留学生のうち、畠山(杉浦弘蔵)、吉田(永井五百介)の二人は69年にLeft(離校)として学校のカタログに載っている。なぜ離校したのに名簿に載っているのか、ということが疑問だが、それは恐らく、当時の印刷コスト的に、Leftと入れる方が畠山、吉田の二人分を削除するよりも容易だったからでは?と想像する。 続きを読む ふたたび金策(69年)

キリスト教に入信

畠山は、日米両方の資料の中で、熱心なクリスチャンであったと言われている。受洗に際してフェリスに宛てた手紙の中では、西洋に来てから3年間、キリスト教のことを考えていた、と言っているが、ニューブランズウィックへ来て約半年で、留学生達はキリスト教に入信する。 続きを読む キリスト教に入信