偉大なる善き友人へ

米国海軍最高官として貴国海域を訪問中の艦隊海軍准将(注1)、マシューC.ペリーに本公文書を託す。

ペリーは、貴国とその政府に対し、私の心からの親愛を表すと同時に日本と米国に友好関係を築き、相互の交易開始のみが目的であることを伝えるべく、貴国を訪問するものである。

米国憲法、並びに米国法は、他国の宗教、政治的関心の妨害を禁じるている。ペリーには、貴公の支配を冒すような行為はいかなるものも差し控えるよう、特に指示がなされている。

米国は海から海へと道を拓き、オレゴン準州、カリフォルニア州は貴国の対岸にある。米国の蒸気船は、カリフォルニアから貴国まで、18日間でたどり着くこと が出来る。米国カリフォルニア州では、毎年$600万の金に加え、銀、水銀、貴石、その他の重要資源が算出されてている。日本もまた、肥沃で豊かな国であ り、多くの貴重な産出物を持つ国であり、優れた芸術でも知られるところである。日本、米国の両国にとって有益な交易を行うことが、私の欲するところであ る。

貴国の古法は、中国、オランダ以外の外国との交易を禁じているが、時代は変わり、多くの新たな国家が形成され、それにつれて新たな法が布かれている。貴国の古法も、編纂された際にはいにしえの法ではなかったのである。

同じ頃、新世界とも呼ばれたアメリカが発見され、ヨーロッパ人が定住を始めた。長い間人口も少なく、人民は貧しかったが、現在は国民も増加し、商業も大き く栄え、米国民は、日本が古法を改め、両国間の国交を開くことがお互いにとって有意義であると信じている。外国との交易を禁じる古法の払拭が、安全を冒す ものとして貴国の望むところでないのであれば、5年、或いは10年ばかり、古法を保留してみてはどうだろうか。両国の交易が当初希望したものでなく、両者 にとって有意義なものでないのであれば、古法を戻すことも出来る。米国は、いくつかの外国と条約を短期に制限して交わし、何年かの後に、相手国の希望によって改正する手段をとっている。

私はまた、いま一つの指令をペリーに託している。多くの米国船舶がカリフォルニアから中国に渡っているが、極めて多くが貴国沿岸での捕鯨を求めており、荒天 により、貴国沿岸での座礁、遭難にみまわれている。米国は貴国に対し、これらの不慮の遭難者を救護、治療し、米国からの船によって移送されるまで、彼等と その船舶、所持品などの保護、保存をここに依頼し、これらを予期するものとしたい。

米国は貴国の豊かな石炭資源を認識しており、ペリーは更に、この旨を伝えるべく任務を担っている。米国の蒸気船は大洋航海に極めて多量の石炭や食料を要し、 これらを米国から積載していくことは懸命でないと考えている。そこで、日本でこれらの船舶を停泊し、石炭、食料、水などの補給を認めて頂く旨、お願いした い。これらについては料金、或いは相当する貴国の希望する物品として支払うものとし、貴国には、日本の南部にこれらに適当な港の指定を乞う。米国はこれを 強く要請したい。

以上、両国の友好、交易、燃料類の補給と遭難者の救護のみが、米国が貴国の著名な都市である江戸に向けて、強力艦隊と共にペリーを送る目的である。

ペリーには、貴国に贈呈する品を言付けている。高価なものではないが、米国の産物を伝え、わが国の親愛と敬意を示すものとなれば幸甚である。

神のご加護を。

1952年11月13日、アメリカ合衆国国璽をもって大統領として署名し、ここに以上の親書を発する。
(刻印)

貴公の善き友人、
ミラード・フィルモア
エドワード・エベレッティ国務長官


注 1:通常「ペリー提督」とされるが、Commodore Perryとしているので、アメリカではAdmiral(提督)とCommodoreが違う階級であるため、Commodoreの訳語である海軍准将とした。軍隊の階級には詳しくない+日本には軍隊がないので、深く理解しないまま、その辺にいるアメリカ人的理解と辞典等の説明をまとめると、 Commodoreは「提督」であるAdmiralよりも下で、個々の船の船長であるキャプテンよりは上。黒船艦隊では艦隊長の意味。簡単に言うと、 AdmiralとCommodoreの違いは、Admiralのが人数が少なくて給料が高い…ということらしい。(^^;)
文中、ペリーと言ったり、ペリー海軍准将と言ったりしているが、文章の調子によるもので特に意味はないと理解し、ペリーとした。

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フィ ルモア大統領は、米国大統領史の中で、その後どちらかからしか大統領が選出されない民主党でも共和党でもなく、最後の第三党大統領(実際はリンカーンが共和党初代大統領なので、それより前の大統領であるフィルモアに「第三党」という言い方はおかしいが、言い方を思い付かないので)として知られている。また、この親書を持ってペリーが日本についた頃、既にフィルモアは大統領を去り、次代大統領のピアスが大統領に選出されている。

この後、幕府は返事の引き延ばしに苦心するわけなので、この時代に現在のように瞬時の情報収集が可能であれば、現大統領と名前が違うということで返答を引き延ばすことはできたと思うので、残念かもしれない。

この中で1つ興味深いのは、これ以前の日本来訪船の例でもわかるように、アメリカは日本沿岸に捕鯨に来ていたというところだろう。その後100年以上を経て、日本人はクジラを食うということで野蛮人扱いするくせに!と思うわけだが、当時のアメリカ人の捕鯨は、主に鯨油(ランプ等に使う)とコルセットに用いるフレーム用なので、肉はもちろん、ひげから皮から骨、内臓にいたるまで消費する日本と比べると、アメリカ人の方が相当に野蛮であることが知れるというも のだ。

この時点ではアメリカは交易開始にそれほどの要請をかけておらず、主要としている要求は遭難者の保護である。この時点でそれだけを中心に応じていれば、この後の条約云々を引き延ばし得たのではないか、という気もしないではない。

 

フィルモアの親書