条約と公文書〜日米修好通商条約

 
 

第1条
これより、米国、日本(将軍国とその後継者)は永久的に、平和且つ友好な関係を結ぶ。米国大統領は江戸駐在の外交官、及び、本条約によって開港される全て の地の領事、領事館員を任命する。米国外交官、及び領事館員は責務時間後、自由にこれらの開港地を往来して良い。日本政府はワシントン駐在の外交官、及 び、米国全土での大使館員を任命出来、自由にこれらの開港地を往来出来る。

第2条
米国大統領は、日本政府の要請により、日本と欧州諸国間で発生する問題について、調停の役を負う。米国軍艦は、日本の外洋において問題が発生した場合、中立の調停役を担う。

第3条
下田、函館に加え、以下の港を以下の日付で開港する。神奈川、長崎は1859年7月4日、新潟1860年1月1日、兵庫1863年1月1日。
新潟の開港が適切でない場合、両国は、代替する日本の西海岸の地を指定するものとする。神奈川開港から6ヶ月後に、下田港は米国人居住区、通商区としての 機能を閉じる。本条約による開港後、米国人は居住する地域の借地権、建物の購入権、住居、倉庫の建設権を持つものとし、日本政府はこれらを検査出来る。米 国人居住地、使用港湾の詳細は米国領事と各地の責任者によって決定するが、合意に至らない場合、米国外交官と日本政府によって取り決めるものとする。

日本側による米国人居住区の壁、柵や門等の建設を禁じ、自由な出入りを妨げるようないかなる措置をも禁じる。

1862年1月1日より、米国人は江戸での居住を認められ、1863年1月1日からは大阪での交易を認められる。居住地域、及び、行動許可区域については、米国領 事、及び日本政府によって取り決める。米国人は自由に、政府係官の介入を経ずに、階級に関わらず、日本人の誰からも物品を購入し、米国の物品を販売できる ものとする。

本条約に調印し、正式な交換が行われ次第、日本政府は全国的に本条約を開示し、実施に努めること。軍需品は日本政府のみへの販売とする。

米、麦の貨物輸出はしないものとするが、日本に居住する米国人、及び船舶乗組員には充分な資源が供給されるものとする。日本政府は公的な競売を通じ、算出された余剰の銅を販売する。日本に居住する米国人は、必要な日本人使用人、その他を雇用できるものとする。

第4条
日本への輸入品には日本政府に関税を支払い、日本からの輸出貨物には添付の表の通り、関税を支払う。
販売する物品の価格について日本政府の関税局が不満である場合、これに価格を設定できる。売手が価格に合意しない場合は、関税を支払い、合意した場合は直ちにこれを値引きなく支払うものとする。

神奈川、函館、新潟に駐留する米国海軍用の物品、及び米国政府倉庫に貯蔵された物品には関税がかからないものとする。しかしこれらを日本人に売った場合は、買手が関税を支払うものとする。

ア ヘンの輸入は禁止とし、交易目的で入国する米国船舶のうち、4ポンド以上のアヘンを積載する米国船は、その超過分を日本政府の権限で差し押さえ、廃棄す る。日本への輸入品、条約に定めた関税を支払った物品は、日本国内のどこへでも税金、関税等をかけられることなく移送することが出来るものとする。

米国は、日本への輸入品について、本条約に定めた以上の関税を支払わず、また、同種の物品の輸入に日本、その他の外国が支払う以上の関税を支払わないものとする。

第5条
外国通貨は全て同じ価値の通貨として通用する。日米相互の支払いはどちらの通貨を用いても行うことが出来る。
日本が外国通貨に馴染み、開港から1年を経た後は、米国人に対して、外貨通貨と同等価値の日本通貨を、通貨変換に関わる値引きを行わずに交換することができる。日本の銅貨を除き、日本通貨、及び外国の通貨としていない金銀は、日本から輸出して良い。

第6条
日本国において違法行為を犯した米国人については、米国領事館裁判所が裁判を行い、有罪の場合、米国法に従って罰せられる。日本人が米国人に対して違法行 為を行った場合、日本国の権限下で日本国の法律に従って罰するものとする。大使館裁判は日本人関係者に開示し、日本政府は米国人加害者による損失を公正に 回収し、日本政府による裁判もこれに順ずること。

本条約、及び付属の交易規約違反に関する罰則は、米国領事館裁判所に訴え出るものとし、損害を回収して日本国政府に提出する。個人、物品に関する貸借については、両国政府が責任を負うものではないものとする。

第7条
日本の開港地では、以下の制限区域内で、米国人は望むところへ自由に行き来してよいものとする。
神奈川は、River Logo [六郷川](川崎/品川から江戸湾に注ぐ)までと、その他の方向へは半径10里。函館、半径10里。兵庫、半径10里で、京都には半径10里以上に近づいてはならない。神奈川停留の船舶乗組員は、兵庫/大坂間の湾に注ぐRiver Engawa [?]を越えてはならない。陸路の距離はGoyoso [御用所?]、又は市役所からとし、1里は4,725米ヤードとする。

長 崎ではどこへ行っても良いものとする。新潟又はそれに代わる開港地での境界線は、米国外交官、及び日本政府の合意の下に決定する。重犯罪 (felony)、二度の軽犯罪(misdemeanor)を犯した米国人は、居住地から1里以上離れてはならず、有罪判決を下された場合、日本での居住 権を喪失し、日本政府は国外追放を要請してよいものとする。

有罪を下された米国人が日本を離れる場合、米国領事館は、各事件を吟味し、適宜帰国に必要となる時間的猶予を与えるものとするが、これは1年を越えてはならない。

第8条
日本国内の米国人には宗教の自由を認め、礼拝堂等の建設権を持つものとする。これらの建物の毀損、米国人の信教に対する侮辱行為を行ってはならない。米国人も日本人の寺社を毀損せず、日本人の信教、儀式、進行対象などに対する侮辱行為は行ってはならない。
米国人、日本人は共に宗教に関する反感を煽らないこと。日本政府は既に踏み絵を廃止している。

第9条
米国領事が要請した場合、日本政府は、司法からの脱走者、逃亡者を逮捕し、領事の逮捕した者を禁固し、米国法適用の可否権を当地の領事に与え、護送を行うこと。米国領事は、これらの措置、囚人の禁固にかかる正当な費用を支払うものとする。

第10条
日本政府は米国より軍艦、商船、捕鯨船、大砲、軍需品、諸武器、及びその他の必要品を購入でき、作成を依頼できるものとする。また、これらに関し、米国の 科学者、軍人、職人、船員に接触できるものとする。日本政府の購入品は米国から輸出でき、かかる輸出品に携わる米国人は誰でも自由に米国を出国できるもの とするが、日本が米国と戦争となった場合は、戦争によって禁じられる物品、及び海軍、軍隊員を輸出出来ないものとする。

第11条
交易に関する規則は添付の通りとし、本条約と同様の法的効力を持つものとする。

第12条
1854年3月31日に神奈川においてペリー提督と締結した条約内容で、本条約に矛盾するものは無効とし、1857年6月17日に米国総領事と下田奉行(the Governor of Shimoda)の取り交わした協議は全てを本条約に編んだものとして無効とする。

日本において米国外交官を務める者は、本条約、及び付属、添付の実施権限を持つものとする。

第13条
1872年7月4日以降は、日米両国いずれかの希望により、1年間の事前通知を出すことにより、本条約、神奈川条約の有効部分、及びその付属契約、関連添付等は、両国の定めた委員会によって修正を可能とする。

第14条
本条約は1859年7月4日をもって実施する。

米国は本条約を米国大統領、国務長官の署名をもって承認し、米国国璽をもって調印する。
日本は本条約を将軍、及び米国の場合と同様の権限を持つ担当高官の印によって承認、調印する。
本条約は4部に複写し、英語、日本語、オランダ語で実施し、全ての版を同じ意味とみなすが、オランダ語版をオリジナルとする。

以上、本条約を西暦1958年、米国独立年より83年度7月29日、日本の元号で安政5年6月19日付で調印する。

Ref. Michael R. Auslin, Negotiating with Imperialism (Harvard University Press, 2004), p214-221.

和訳 by ながみみ

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神戸の境界になっているEngawaという川、停留地域を計る出発点のGoyosoが不明。ご存じの方、お知らせ下さい。

この時代に書かれた英語表記の日本語は大変怪しく、人の名前や地名なんぞは、思い当たるものがない限り、何のことを言っているのか皆目わからない。長州なんかは、大概Choshiuと書か れていたり、江戸はかなり先の時代までYedoと書いているし、帝(みかど)もMikadoだったり、Micadoだったり、かの日本研究先駆者にして日本外交の父、候文も読めたというアーネスト・サトウでさえ、Goroju(Gorojoとも)を五人の老中だと思っていたと告白しているので、あとの人の 理解度は推して知るべし...である。

これに添付されている関税に関する取決め、及び、ハリス着任からの仔細は、あのコーンパイプにレイバンのマッカーサーの甥(なのに、なぜ2世を名乗っているのか不明)のダグラス・マッカーサー2世の前書きを持つThe Complete Journal of Townsend Harris (Charles E. Turtle社1959年版)に、Shimoda Conventionと呼ばれる協議を含め、条約以前の通信書簡などの資料もあるので、追々ご紹介します。

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ペリーの条約に比べると、かなり条約らしい体裁が整っている。この辺が、海軍士官が来たのと、外交官が来たのとの違いだろう。

この条約が不平等とされているのは、関税に関する件と裁判に関する件と言われているが、関税問題はどこの国でもこういうことをするので当然としても、裁判の 方は、お互いの国の犯罪者はお互いの法律で罰すると第6条に言っていながら、第9条では米国に召還権があるようにも言っているので、こういうところは激しく突っ込むべきだったかも知れない。しかし、この後、攘夷の人々が国籍に関わらず西洋人をぶった斬ったり、屋敷を燃やしたりすることから考えると、日本に一方的に任せておくととんでもないことになることを既に予想していたのだろうか。

しかし、日本人がアメリカに行った場合もそうなのか?!ということで、こ れも臨時条約の様相を呈しているが、有効期限が1872年までなので、咸臨丸から、その後の薩摩、長州の一方的留学者派遣とかは、どんなことになっていたのか...と不安になる。薩摩や長州の留学生は密航同然だから、死んだらそれまで、あっぱれ!だったのか...と思うと、大和魂というものは大したものである。しかし、攘夷の人が何の脈略もなく斬りかかってくることを、アメリカでもイギリスでも、しつこく報告してるっちゅーのに、その時代になっても平気な顔をして日本に来た西洋人というのもあっぱれである。この時代は、世界中が荒れていたので、人間はみなあっぱれであったのだな...と感慨至極。

あっぱれというと、このハリスという人もなかなかあっぱれで、サトウの話だったと思うが、下田から横浜に開港地が変わった後、神奈川(東海道の宿場町)を開港すると言ったくせに、横浜(なんもない漁村)をあてがいやがった!ということに憤慨して、断固横浜には住まずに、船にいたそうだ。

ハリスについては、邦題は「黒船」というようだが、米題は「野蛮人と芸者(Barbarian and Geisha)」という大笑いなタイトルの日米合作映画がある。

これはハリスにジョン・ウェインが扮しており、将軍との対面場面などは二条城でロケしてるんじゃないのか?!と思わせるような、日米の映画黄金期はかくありなん、な映画なので、是非御覧頂きたい。これを見ると、アメリカ人にとって重要なことと、日本人にとって重要なことがわかって大変興味深い。例えば、日本人がハリスを語る場合、唐人お吉さんが出て来るものだが、アメリカ側としては、そう いった、日本女性に意味不明な関心を寄せている人々は例外として、お吉さんは殆ど有名ではなく、日本側がそういうもてなし方をした、ということをちょっと 困った感じに語っている程度である。

映画では、当時のミスユニバース、七頭身美人(死語)の小泉某(忘れました。せつ子じゃない。ここ、ビートたけしのマニアファンだけウケて下さい)がそれらしい役をやっているが、ハリスはさておき、ジョン・ウェインがそんなところで日本女に言い寄られたり、娼婦を抱いたり、妾にしたりするのは、これはもう、国賊的行為なので、当然そのようなからみはなく、きれいな日本のお姐さんにお酌されて、ちょっと照れる...という、まあ、実際もこんなとこでしょう...なつくりになっている。

そ の、ジョン・ウェインが日本で妾なんか作った日にゃ黙っていないアメリカ人にとって、ハリス関係で大きな関心事というと、日本で初めに作った米国旗(そのうち詳細をupします)だろう。映画でも、ジョン・ウェインは毎日この旗を掲揚するということに執念を燃やしていて、このあたりに、初の全権大使として、 未踏の地へ着任したアメリカ人の不屈のパイオニアスピリットを見ることができる。また、映画ではコレラが大流行する下田の町で、対処に奮闘するハリス (つーか、ジョン・ウェイン)が描かれているが、実際にはコレラよりも、安政年間に襲った関東・東海地方の地震による津波の際に、ハリスや米国人水夫と下 田の住民が力を合わせて対策に協力し合った話がある。当時の下田住民のハリス談など、ご存じの方はぜひご紹介下さい。

 

日米修好通商条約(1858年締結)
ハリス条約