アメリカの南北戦争は1861年から1865年、日本でいうと文久から慶応という激動の時代と重なる。

これがあったために、アメリカは、あれだけの圧力で開国させた日本との外交どころではなくなったのだ。イギリス人であるサトウが、下関砲撃のときのアメリカ人を「帰国してみて自分の国があるかないかもわからんのに、日本なんかと遊んでいる場合ではないのだ!ということで、大変イライラしていた」というように表しているが、手短かに言って、ありがたいことである。アメリカに南北戦争がなければ、アメリカは太平洋側からアジア侵攻に乗り出したかも知れないし、もともとそのつもりなのだから、幕府、又は倒幕勢力のどちらかと結びついていただろう。尤もアメリカは、そういうことはあまりしない国ではあるが、それどころではなくなってしまったことは、日本にとっては幸運といえるかも知れない。

「かも知れない」というのは、アメリカが日本外交からどっと後退し、幕府がフランスと結託した事実があって、薩長と結託したイギリスが明治政府と深く結びつくが、それがその後の日本にとって幸運であったのか、という疑問はあるだろう、と思うからだ。

イギリスは王室のある君主国としてそれなりの歴史を持っていた国であるため、日本と国の成り立ちが似ていたことは幸運であったろう。アメリカが幕末から明治の革命戦争に関わっていた場合、明治政府は天皇制廃止の方向に行ったのではないか、と思う。基本的に、イギリスから独立したアメリカは、ヨーロッパの君主制に強いアレルギーを持っており、国王と政府の連立を理解できないし、しない。従って、いずれかの時点で、王制の廃止を進めたに違いない。

国王を持つイギリスは、世襲制度に対して大きな価値を置いている国民であるため、これは、徳川家までも廃止にはしないという明治政府の態度に大きな影響を与えたであろう。また、イギリスと結託して発足した明治政府は、郵便、警察、 交通網、病院その他のシステムの多くをイギリスから入れて文明開化に進むが、イギリスは島国で、ロンドンと東京の地理的な条件も似ている。西へ南へと、開拓して進むアメリカに比べると、相当に緻密で、考えることもやることも細かい。これらは日本にとって、似ているという点でありがたいと言えると思うが、その後のイギリスのアジア戦略に一役買ったことは、果たしてありがたいと言っていいのか、とも思うわけだ。

そういうわけで、長州が幕府と戦争状態になって以降の日本には、イギリスやフランスほどの影響を持たないアメリカだが、アメリカは同時期に、この国最大にしてその次がないような戦争状態にあったことは、戦時下にある両国の比較という点で興味深い。

南北戦争の大ざっぱな成り立ち

南北戦争は、当然いろいろ説があるわけだが、一般的な考え方として、黒人を奴隷として使うプランテーション農場が中心となった、即ち、第一次産業中心の南部勢力と、産業革命の波に乗る商工業中心経済を急激に進めた北部が衝突した戦争と考える。公式な史実としては、南部州が合衆国を脱退してコンフェデレート(連合国?日本語知らん)という別の国家を形成したことから、アメリカは2つに分かれて、戦争となって行く。北軍側政府の大統領がリンカーンで、南軍側がジェファーソン・ デービスで、この数年の間、アメリカは事実上2つの国に分裂していたことになる。

大まかに言って、東海岸のノースキャロライナから南と西にいって、テキサスあたりまでがコンフェデレート、それより北と西が北軍(ユニオン、又はヤンキーと 呼ばれる。関係ないけど、「ヤンキー」のアメリカ語発音は、関西のそれと同じ)で、真ん中あたりにいくつかの中立州がある。

自分の住むイリノイは都市化の急速に進むシカゴを擁していたこと、南部からの奴隷の脱走に使われたunderground railroad(地下鉄道。地下鉄ではなく、人ずてに尋ね尋ね、匿ってもらいながら北部へ脱出すること)の終着地であったこと、リンカーンの出身州ということもあって、北軍側だが、州の南部はケンタッキー、テネシーなどの南部州の文化圏であるため、現在でも州の最南部地域は、南部文化にあり、当時の古戦場跡が多い。

アメリカでは、いまでも南部州に行くと、コンフェデレート軍の十字に星が入った旗を掲げているところも少なくない。こういう糞も味噌も一緒ないい方は良くないが、アメリカの国家主義的プライドは、南部州に多く残っていると考えられており、南に行くと、「ユニオン、ヤンキーは、北からの侵略者」という意味になり、北部では、南部を保守的、前時代的と考える傾向にある。

ここに、まぁ、貴族化していく南部の金持ちと、自由と平等の北部という図式があったり、奴隷解放を打ち出す北部を英雄視する図式があったり、パイオニア精神に則って、北部に急速に広がって行く鉄道網、道路網の発達、移民の増加などなど、当然その反論もあって、その解釈には諸説ある。

奴隷と奴隷解放

自分自身は、運動選手が世界で一番偉いというおちゃらけた価値観に生きているので、当然黒人は大好きで、黒人解放史その他にも興味を持つ者ではあるが、奴隷を用いていた南部州の住民を「黒人奴隷を家畜同様に扱っていた人でなし」と考える図式には賛成しない。奴隷というのは安い買い物ではなく、維持にも相当な費用がかかる。家畜と一緒と考える場合は、どっか、アメリカのmiddle of no-where(土地の名前を言って知ってる人は住民だけ、みたいな土地)の農場に行ってみると良い。家畜の維持に、どれほどの労力と関心が払われているかがわかるからだ。

Equity(持ち物)として、家畜同様に考えていたことは否定しないが、人間はことばを解する能力ひとつを取ってみても、馬や牛とは異なる。それを無闇に酷使していただけで当時のプランテーション経済が発展したと考えるのは、あまりにも鬼畜米英的なものの見方であろう。

また、白人の奴隷として生まれて育った奴隷が、無闇に解放されてしまうことが、果たして必ずしもありがたいことであるのかどうか、ということは、日本の明治維新ファン、 特に家禄を奪われた幕臣側とその下々の家臣たちについて知り及ぶファンには、理解に難くないかと思う。

人間が人間を家畜と考えた無知に気付き、それを訂正するために南北戦争があった、というと、あまりにもアメリカにひいきした見方であり、現実を現在の価値観で見ていないことになるが、現在でも根強い人種、民族、宗教に対する差別を廃絶しよう、という精神と法律は、アメリカには確かにある。

数多い南北戦争に関する映画では、「風と共に去りぬ」が、北軍に侵略されて落ちぶれて行く南部プランテーション農場主と、そのプライドを守る娘の姿を描いた名作だが、ダンゼル・ワシントンがアカデミー助演男優賞を得、彼の出世作とも言える「Glory」は、北軍志願兵として、必ずしもいい思いだけをしない黒人軍を描いている。どちらも多少の「通説でない」部分を描き、別の通説を築いた作品として、とりあえず見ておくべき映画であろう。

南北戦争の英雄

その風と共に去りぬで有名な場面にアトランタ陥落があるが、これは北軍のシャーマンという将軍によるもので、市を焼き払った作戦が、史上初めてのtotal war(全面戦争)とも言われる。

Total warは第一次世界大戦から、或いは、日本では日露戦争からともいうようだが、「(軍隊同士の戦闘ではなく)市民を巻き込んだ戦争」という観念として、アメリカでは、シャーマンの作戦を初めのtotal warともいう。一般市民を巻き込んだシャーマンのこの作戦は現在も賛否両論だが、シャーマンマーチと呼ばれる東海岸までの行進作戦が北軍を勝利に導いたというのは一般的な解釈である。

そのシャーマンマーチによって勝利を決定的にした北軍だが、当初、名将を多く擁して、軍事的に優勢にあった南軍の抵抗は続き、南北合わせて60万人以上の兵士が死んだ。

当時のアメリカの人口は3000万人くらいなので、相当な戦死者数である。アメリカには、これ以上に戦死者を持つ戦争は存在しない。

4年に及んだ戦争は、あらゆる意味でアメリカを荒廃させ、1865年4月9日、北軍将軍格(Lieutenant Generalなので階級としては、将軍より下)のユリシー・グラントと、南軍将軍のロバート・リーは、両軍の司令官(Commander)として、戦争終結に合意する。これは大統領の命令よりも前に降伏してしまったリー将軍の英断によるもので、日本の幕末に、勝海舟が江戸城を将軍、幕府の許しもなく官軍に開け渡す場面と似ている。

勝手に降伏してしまったリーを批難する声は当然あったが、南軍のベテラン軍人(エリート軍人は南軍側に多かった)であるリーが降伏し、グラントと握手をするシーンは、アメリカの古典的な美談の一つである。岩倉使節でリーの記念碑や退役軍人の館等を尋ねた木戸は、その話に感激したことを日記に書いており、アーリントン墓地も気に入って何度も尋ねている。

終結

南北戦争終結の合意が4月9日で、その6日後の15日に大統領のリンカーンが暗殺されて、アメリカの南北戦争の時代は終わるが、日本に照らし合わせた場合、 大政奉還直後に殺された官軍側の大物が坂本竜馬であることは興味深い。官軍の大将格である西郷、大久保、木戸は、竜馬よりも身辺警護に力を入れていたからでもあるだろうが、竜馬が暗殺されて、日本のさむらい時代は終わり、新政府が日本を平定していく明治維新の時代に移る。時代が時代自身として起承転結を作 るということであろう。

ところで、4年に及ぶ南北戦争で、飛躍的に発達したのものに兵器がある。同時期に、フランス、イギリスも数々の新兵器を送り出すが、特に銃器類の発展はすさまじく、これらの国々から兵器を集めたアメリカは、南北戦争の終結とともに、膨大な兵器が用途を失った。これらが大挙日本に輸出されたと思うのだが、その辺の顛末には詳しくないため、今後調べて行くことにするが、これらの新兵器についても、ここで紹介する。あ、これは官軍が使っていた、とか、幕軍が 使っていた、とご存じの方はぜひご一報頂きたい。

 

南北戦争と背景の雑談