大型銃(大砲類)

英語でheavy weapon、或いは、artilleryと呼ばれる武器の部。

一人で持ち歩いていきなし撃てるようなものではなく、地面に固定、又は車輪を付けて移動して、数人がかりで撃つ銃身の太い、口径もでかい、弾もでかい、そういう武器。武器の名、及び定義は、戦争を知らない世代のわたくしは、日本語でなんというか全く知りません。辞書調べれば出てますので、日本語の正しい名前を知りたい方はそちらの方で見て頂いて、あくまでも自分なりの解釈にてご紹介。

大砲(Cannon)

アメリカでその辺の人にcannonと gunの違いは何か!と迫った場合、軍隊経験のない人は殆ど知らないと思います。結構調べましたが、マスケットと同じく、正確な定義は謎。一般的な感覚で は、地面に置いてドーンと撃つのがキャノン=大砲ですが、日本の幕末に出て来るアームストロング砲、ギャトリング砲は、英語ではcannonではなく gun。唯一わかったのは、軍艦搭載砲は、cannonではなく、gunと呼ぶらしいこと。

なので、正確な定義ではありませんが、チャイコフスキーの 1812序曲で撃つ、あれが大砲で、恐らく、マスケットと同じく、「昔の武器」というイメージがあると思う。最近の戦争で、キャノンとかマスケットなんて出てないので。結局、ナポレオン以降、ああいったデカさでせまる方向のcannonは徐々に流行らなくなって、更に小型軽量化して、小回りの利くものが台頭して行ったようだ。

普通、砲隊は大砲係と弾丸係がいて、大砲の係は弾込めて、弾撃って、掃除して(これ、レッツーゴー3匹?トリオ・ザ・スカイライン?昔のお笑いでこういうのありましたが...って、興味ある方は、 ご両親、または、おじいさん、おばあさんに聞いてみましょう)、というのを担当する。その大砲の後を砲弾係が引く弾の入った荷車が着いて行って、砲弾お届け係が1発ずつ弾を届ける。(南北戦争復元劇のその2に写真あり)

リンクはアメリカでナポレオン砲と呼ばれるもの(ナポレオンが開発したらしい。これはスムースボア)、20ポンド砲弾のパロットライフル

大砲と思われる形態のものは、大まかに3種類にわかれていて、1つがガンで、次がホウィッツァー(howitzer)、そしてモーター(mortar)

ホウィツァーはガンよりも銃身が短く、小型で、上に打ち上げ、弧を描いて弾が飛ぶもの。ガンはこれよりも仰角が低いので、まっすぐに飛んで行く...らしいが、写真とか見ても、どっちがどっちかわからん。上記でリンクしているナポレオン砲もパロットライフルも、キャノンと言ったり、ガンと言ったり、ホウィッツァーだったりで、またしても正確な定義はゆらいでいる様子。ホウィツァー・ガンとかも言うので、その差は、そんときの感覚なんじゃないだろうか (こんなんばっか)。

モーター

それに比べると、モーターは特徴の差が明白 で、日本語で臼砲というらしいが、確かにこれは読んで字の如し。花火のように空に打ち上げる砲のことで、ずんぐりむっくりの据え付け型が主流だが、車輪付 き、汽車に乗せて移動式などもあり。馬関戦争後に長州に上陸したサトウが、どこそこの丘にはmortarがあって云々と言っているので、長州にもあった様子。かなり小型のものもあるのだが、写真がみつからない。最近の兵器だと、いわゆるミサイルなんかもMortar呼ばわりしているので、臼に似ているかど うかではなく、打ち上げ式がMortarという解釈でいいんじゃないでしょうか。

ダールグレン砲

軍艦に載せるもので、特に多く採用されたのは、下関の攘夷決行の報復でもアメリカ軍がおみまいしたダールグレン砲。瓶のような形状が特徴の前込めスムースボア砲で、名は発明者の名前。当時の米国戦艦のレプリカとか、模型には、必ず載っているようなお馴染みの大砲(南北戦争のバージニア号に載っていた欠損したダールグレン砲写真もおまけ)。

カロネード砲

一方、こちらの発明はイギリスですが、黒船にも搭載されていて、南北戦争でも使われたカロネード砲という小型の大砲も活躍した。ノーフォークの米国海軍シップヤードのサイトに、当時の軍艦搭載のガンがたくさん載っているので、お楽しみ下さい。でも、違いは全然わからん...というのが殆どです(私の場合)。

ギャトリング砲

この手の武器で日本の幕末から戊辰戦争に出て来る最新洋風兵器として、長岡、佐賀(国産化に成功)で登場するガトリング砲アームストロング砲がある。

ガトリングの方はアメリカ(なので、以下、 アメリカ式発音で、ギャトリングと呼ぶ)のリチャード・ジョーダン・ギャトリングの発明。1861年製作で、1862年に特許取得のいわゆるマシンガン。 リンクしたWikipediaのページには、特許申請書がリンクされているので、是非御覧頂きたい。

現在でもマシンガンはギャトリング・ガンと呼ばれる (けど、軍隊が飛行機とかから撃つのでない場合、オートマチック、セミオートマチックと呼ぶ方が一般的。関係ないが、アメリカでは、ギャングのガキがセミオートマチックを持っている)が、恐らく、回転式のマシンガンをギャトリングと言っているように思う。

ギャトリング砲は南北戦争では活躍せず、米軍に公式採用されるのは、南北戦争後の1866年。これを南北戦争で採用したベンジャミン・バトラー将軍は、1台$1,000で買ったとのこと。これと考えは同じですが、回転式で交互に弾が出るギャトリング以外の初期マシンガンについて書いてあるサイトがあったので、こちらも御覧頂きたい(画像切れてるのがありますが、回転式でないマシンガンがいろいろ紹介されています)。

しかし、一度にたくさんがパタパタ死んでしまうため、脅威度が低いということで、当初人気がなかったらしい。

アームストロング砲

アームストロング砲はイギリスの発明で、アメリカで採用したのは南軍。

上記のリンクは、ノースキャロライナ州のフォート・フィッシャーの戦いで使われて、北軍に取られ、ウェストポイントの海軍士官学校に展示されているものの写真。

ライフル式で、最長5マイル(ほんとなのか...5マイルも飛んだらミサイルじゃないのか)届くという記述がどっかにあったが、どこで見たかわかんなくなってしまった。でも、とにかくでかくて、飛距離が優れていたと思われる。

南北戦争ではギャトリング同様、あまり使われなかったようで、情報はイギリス系(本国、及びカナダ、ニュージーランド等)に多くあるようだ。上記でリンクしたのは、イギリスの戦艦ウォリアーに 載っている模型。現在、この船はイギリスのポートマスで一般公開されているようだが、初めて船体を鉄で覆った(こういうのをきっと何とかと言うと思う。ストーンウォールが、全体ではないが、このタイプ) 当時の最強戦艦として有名。1860年12月に進水らしいので、幕末/南北戦争時代のイギリスがいかに力を持っていたかわかろうというもの。

これら、火器の発展に大きく貢献した(んだか、戦争が財閥に貢献したか、その辺持ちつ持たれつですが)のが、当時の米国で火薬市場の半分を牛耳ったデュポン(DuPont)社。

この会社は、創始者の人の名前から、漠然とフランスの会社をアメリカが買ったと思ってましたが、なんとフランス人移民が創始者で、はじめからアメリカの会社らしい。フランス革命から逃げて、アメリカに来たというので、アメリカというのは、こうやって他国の騒動で逃げて来る人々によって、発展して来たのだなぁ、とまたしても思わせる。そして、武器によって財を築いたデュポン家や、ウィンチェスター(銃)家などは、アメリカでは色んな人に恨まれて、幽霊話で有名だったりもする。

値段は、6ポンド砲(かなり小型)の銅製大砲が$460(1ポンドにつき46セント、鉄だと8~10セント。随分安い感じがするが、これは軍隊買い上げの値段)で、ライフリングを施すと$50増。 砲弾(鉄の弾がどーーんと落ちる式でなく、爆発する式の弾の場合)が$2.25、とある。

以上、主にEveryday Life During the Civil War (Writer's Digest Books)、Civil War Weapons and Equipment (The Lyons Press)より。

リンク

大砲の部位名と主な大砲リスト:http://www.cannon-mania.com/lessons.htm

ザ・ディクテイター、スワンプエンジェルなどニックネーム付き大砲:http://artillery.onlineheadquarters.net/famous_guns.php?snum=&gun=main


おまけ

これらの英米製武器を見たら、興味を持ってしまったのは日本に入っていると思われる武器の経路。

まず、竜馬の持っていたというS&WのM2。このモデルは1861年製造開始らしい。1865年くらいに高杉晋作からもらったようだが、日本まで来たら、超最新式だろう。とんでもなく高かった と思うのだが、この話は本当なのだろうか。高杉晋作はそんな高いものを竜馬にくれてやったのだろうか、というのも疑問だが、南北戦争をやってる最中に、ア メリカが日本にそんな最新式の銃を輸出しただろうか。南北戦争が終わってからであれば、どっと武器が余る時代なので、値段は落ちたと思うが、そうであれ ば、戦争終結直後ということになるが、竜馬が寺田屋で襲われるのが慶応2年の1月なので、1866年のはじめ。南北戦争終結が1865年4月(西暦)なので、ものすごく微妙。

あるいは、高杉晋作がアメリカ兵(或いは他の外国人)から直接買ったものだろうか。日本に来ている西洋の軍隊は殆ど海軍(上陸しない)、又はMarineだが、Marine(海兵隊=上陸する)は小銃を持つが、海軍は基本的に小銃を持たない。どこから、どうやって手に入れた銃なのだろう。アメリカが早くも日本に売りに来ているのであれば、それが誰か知りたいし、上海からの密輸であれば、あったで、そんなものを上海で売った人が知りたい。このモデルの銃を竜馬が持っていたという話の根拠も知らないが、竜馬はリボルバーのレンコン部 がおちた話を手紙に書いているので、寺田屋での遭難時にリボルバーを持っていたのは本当なのだろうが、M2ではなく、M1のセカンドエディションなのだろうか。しかし、そんな高いものを、逃げる道々にこわしてしまう竜馬のぼんくらぶりは、微笑ましいというより、おい!と思ってしまい、その後どうしたのかものすごく気になる。

次に、アームストロングとギャトリング。

佐賀の鍋島の殿様というのは、解明ぶりでは しごく有名で、慶喜が「騙された」というようなことも言っているようだが、黒船が来ればすかさず西洋船を造り、彦蔵が長崎に来ると、すかさずお呼びたてし て彦蔵を通して外国から武器を仕入れようとしたりもするし、そのフットワークの軽さでは非常に興味深い殿様だが、西洋大砲を国産製造するのはわかるが、果たしていつ頃製造するのか。また、そのように西洋の武器に深い関心を傾けたのは何故か。

佐賀というのがどこなのか、東京ものにつきあんまり知らないのだ が、末羅、及び松浦水軍の辺ではないかと察する。であれば、先史時代から、やはり外国からの影響は絶大の土地柄で、幕末も例外ではないのだろう。まして、 長崎の警備担当で、フェートン号のときに、早くも大目玉をくらうわけでもあり、言ってみれば、幕府側から考えても、後の官軍側から考えても(長州が近いということで)、開明化して目を付けられる可能性が極めて低い藩ではないか、と思われる。

しかし、独自に開明の道を独走した佐賀藩というのは、実に興味深 い。アームストロング砲の国産化にどれだけの時間がかかるかわからないが、シーボルト親子、グラバー商会なんかが開発に関係しているはずだと思うので、そのあたりのからくりを知りたいのと共に、佐賀藩内の技術者の苦心についてなど、是非知りたい。或いは、この時代にイギリスの図面を読む方法を知っていたりしたのであれば、ものすごく面白いのだが、どうだろう。

ギャトリングの方は、これを仕入れたと言う 河合継之介は1868年に死んでしまうわけだから、戊辰戦争前に入れていただろうが、経路はどうなのだろう。長岡は、開港になるはずだった新潟に近いが、 現在でも北朝鮮の拉致が柏崎で行われたりすることから考えて、そのあたりで直接仕入れていないまでも、荷受けをしていないだろうか。

ギャトリング砲は、上記の通り、当初アメリカで認められていないので、それが流れて来たのか、或いは、米軍に正式採用されるようになってからの輸入だろうか。幕末当時、長岡藩はそれほど裕福な藩ではないようなので、アメリカの売り出し時で1000ドルもしたギャトリング砲を買ったのであれば、その決断はどこからどのように出たのか。なんでも、東アジアには3つしかなかったものを買ったらしいので、これも戦争終結後のアメリカから入ったのか、イギリス経由で入ったのか、大変興味深い。

どれも日本側の状況がわからないので、是非知りたいところだ。

 

南北戦争の武器〜大砲類