ビッドルの対応に胸を撫で下ろした幕府ではあったが、この次にやって来るのが手強いことは予想していたらしい。

捕鯨船ラコダ号遭難者が長崎に拘留されているとの知らせを中国で受け、1849年4月、彼等を奪回にやって来るのがジェームス・グリン。貴重なるわが国の捕鯨船を護り、捕鯨には、わが国政府が強い関心を抱くことを訴えろ!という東インド艦隊長デビッド・ゲイシンガーの命令で日本へやってきたグリンは、終始強硬な態度で臨み、レナルド・マクドナルドを含む18名(16名の記述もあり)を奪回する。

ラコダ号乗組員は、米人とサンドイッチ諸島(ハワイ)人からなり、船から飛び込んで上陸しようとしたこともあって、米国スパイとも目されていた。また、同時期に捕らえられていたレナルド・マクドナルドと異なり、脱走を試みたり、自殺を企てたり、始終喧嘩したりする問題の多い人々であったらしい。

ビッドルの温和な交渉態度による失敗に業を煮やした米国は、「日本との交渉は、相手の言い分を良く聞くよう努めながら、しかし、断固とした態度をとるべし。日本の法、習慣を侵すようなことがないよう心がけながら、米国の太平洋ポリシーの成功が続くよう努めよ。予期せぬ状況に陥ることもあるだろうことは言うまでもないが、わが国の利益と尊厳を護るべく能力と度量を信じ、 自信を持ってことにあたれ」と、グリンに任務を託した。

ラコダ号遭難船員、及びマクドナルドは奪回したものの、幕府側の鎖国は変わらない。そのため、米国議会には、「日本とは通商ではなく、外交政策として対し、しかし、態度を変えない場合は、軍隊による強制も辞さない態度を取るべき」と進言。この次にやって来るペリーの対日政策に大きな影響を与えた。

この前にやって来たビッドルや、その後やって来るペリーが、2500トン級の戦列船旗艦でやって来るCommodore(海軍准将。艦隊長で、 Admiral=提督とほぼ同じ階級)であるのに比べて、グリンは、船長(Captain、陸軍だと大尉)より下のスループ船の司令官 (Commander)なので、階級的にはかなり下。命令を出したゲイシンガーがペリー、ビッドルと同等。

プレブル号 スループ戦艦

スループ型戦艦。スループは1本マストの帆船だが、後に中~小型軍艦(フリゲートとコルベットの間)の意味として、蒸気船にも用いられる。プレブル号は1839年進水、米墨戦争に参加後、1846年に太平洋艦隊に編入され、1848年、東インドから日本へ。1849年、グリン船長は米国捕鯨船ラコダ号の遭難員18(16?)名救助のため、日本政府と交渉。

1863年ペンサコラ湾で船員の過失から火事になり、爆破炎上。1963年に米軍海軍によって沈没船一部、遺品が回収された。米海軍アカデミー最初の下士官訓練用船とも言われる。

容積トン: 556 t

長さ: 117 ft (36 m)

船腹: 32 ft (9.8 m)

喫水t: 15 ft (4.6 m)

推進: 帆

兵器: 16砲

リンク

ラコダ号
http://www.whalingmuseum.org/exhibits/lagoda.html

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前回のビットルの失策に慌てた米国海軍と米国は、通商開始では日本が動かないと知って、強硬政策に方向を変える。 外交政策に指針を変えるべきと言っているが、グレンは、要求を入れない場合は軍隊を送り込むと迫り、次に来るペリーは実際に戦艦4艦の艦隊を引き連れて やって来る。

アヘン戦争で中国を手中におさめるイギリスが、繰り返して琉球に迫っている状況から、他の国から護ってやるようなことを言い出すアメリカに関心を見せ始めるのは、日本の対イギリスの政策とも思われる。

ところが、アメリカに引き続いてイギリス、ロシア、フランスとも国交を開始してしまうため、アメリカは最初に開港を認めさせたものの、うまみ独占が不可能になる。

普通に考えると、英国が琉球を占拠し、米国がこれを日本の援軍となって奪還するというあらすじで代理戦争を始めてもおかしくないのだが、イギリスは開港によって対日本政策の軟化を余儀なくされ、その後、アメリカでは南北戦争がぼっ発してしまい、太平洋に艦隊を送るような状況でなくなったことはラッキーだっただろう。やっぱり日本は神州かもしれん...と思ってしまうではないか。

 

ジェームス・グリン(米)