1865年にイギリスへ立ってから1873年の帰国まで、8年強を外国で過ごした畠山は岩倉具視と久米邦武と同じ船で日本へ帰国した。
帰国した畠山は先に日本に着任していた後の文部省学監モルレーことデビッド・モルレーDavid Murrayと共に日本の高等教育システムの確立に努めた。後の東大となる開成学校と共に、博物館、図書館、植物園など、官営の教育施設の礎を築き、同時の政府の高官としても活躍するが、1876年10月には結核で短い一生を終える。
みじかい日本での活躍は以下のとおり。