当時のボランティア兵の写真 Photograph of a group of the Taranaki Mounted Volunteers,
1863 or 1864. (c) The Fitzwilliam Museum, University of Cambridge.
Andrew Cobbing⽒のThe Satsuma Students in Britain: Japan’s Early Search for the Essence of the Westのただで読める部分を読んだところでは、薩摩留学⽣たちはUCLには学費を払っているようだから、通ってはいたようだ。が、そこでは、畠⼭がWoolwich(ロンドン⻄部)にあったロイヤル・ミリタリー・アカデミー(英国の⼠官学校)へ⼊ろうとしていたことに触れている。なんでも、⻑州の南貞助がローレンス・オリファントの援助でそこに⼊ったので、科学と数学を勉強して、⾃分もそこへ⼊ろうとしていたらしい。更に、畠⼭はVolunteer Militia(正式な国の軍隊員でなく、⼀般市⺠の作る軍隊)にいたようだ、ということも書かれている。
アメリカであれば、ミリシアは独⽴戦争、南北戦争を担った歴史もあって、現在も⽶国憲法で認められた存在だが、21世紀の現在では、何をミリシアとするか、という解釈に様々な議論があり、事実上は存在していないと⾔っていいと思う。
畠⼭がイギリスで参加したボランティア・ミリシアは、同時代(南北戦争期)のアメリカのミリシアの意味ではなく、現在のアメリカでいえばリザーブ(予備兵)に近い。ミリシアという⾔葉ではなくボランティアという⾔葉がよく使われているようだ。イギリスの当時のボランティアは、平時には演習のみを⾏う⼀般市⺠の軍隊で、有事には戦地へも赴くものであったようだ。今でもそうかも知れないがそれは知らない。
⽝塚孝明⽒の著書に引⽤されている中井弘(薩摩藩⼠)の⽇記(近デジでただで読める)で、中井は、「遊軍隊」と⾔っている。
中井弘の⽇記
1867年の初めから数カ⽉イギリスに遊学していた薩摩藩士の中井は、その⽇記に、畠⼭がイギリスの軍服を持っていること、また、畠⼭が鮫島、松村、吉⽥と共に、ローバー(ドーバー)で⾏われた「⼀⼤調練」に参加したことを書いている。⽇記には⽇付けがないのだが、これは、場所と時期から、1867年4⽉22⽇に⾏われたドーバーでのVolunteer Reviewが、中井のいう「遊軍隊⼤調練」であろう。
イギリスは1861〜77年にかけて、この⼤調練を毎年イースター・マンデー(イースターの後の⽉曜)に⾏っていたらしい。会場(?)はドーバーの他、ブライトン、ポーツマスなど、フランスとの国境であるドーバー海峡沿岸地なので、海軍系の演習であるようだが、ボランティアは基本的に歩兵(infantry)であるようだ。ボランティアの演習が海軍との合同演習であるのか、沿岸地での予備陸軍歩兵隊の演習であるのかは不明。その他に、ウィンブルドン(ロンドン⻄南郊外。テニスの⼤会で知られる)、ハイドパーク(ロンドン市内)などでも⼤規模な演習を⾏っている(こちらは海岸地域ではないので陸軍だろう。バッキンガム宮殿に隣接しているので、王宮警護の意味もありそうだ)ので、どちらかの演習を前年に⾒た薩摩留学⽣が参加を企てたものかもしれない。
或いは、この1867年の演習にはベルギー軍が参加しているので、薩摩英国留学⽣に関わるモンブラン卿という⼈が⼀枚噛んでいる可能性もあるかもしれない。
この⽇の演習について書かれたロンドン絵⼊り新聞を⾒たところでは、⽇本⼈が参加したことは書かれていないようだ。
ちょうどその頃、イギリス人外交官のローレンス・オリファントは「ハリス教団」のカテゴリーに述べるトーマス・レイク・ハリスのコミューンに⼊ろうとしていた。畠⼭を含む薩摩留学⽣たちの⼀部は、主に⾦銭的な理由で結局オリファントについて渡米したようだが、イギリスにいた頃の畠⼭は⼠官学校に⼊りたかったらしい。アメリカに⾏った後も、このロイヤル・ミリタリー・アカデミーに⼊りたい、という意志があったことが、彼の⽶国滞在中の書簡などにもある。その割に、アメリカで軍隊学校に進んだのは、勝⼩⿅と松村なので、いずれかの時点で、軍より、その元になっている⼀般科学に興味が移ったようだ。