KozoWeb 畠⼭義成のみじかい半生の足跡
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⽇本がまだ留学を禁⽌していた1865年、薩摩藩からイギリスに渡った留学⽣のひとり、畠⼭義成は、杉浦弘蔵と名を変え、Kozo Soogiwooraとして第⼆の⼈⽣を歩みます。
⽊⼾孝允、⼤久保利通の⼤きな信任を得て、のちに開成学校⻑、博物館⻑、書籍館⻑を兼任し、⽂部省、内務省、外務省、太政官で活躍する輝かしい未来を約束されながら、1876年、派遣されたフィラデルフィア万博の帰路、畠⼭は結核で34年の短い⼀⽣を閉じます。
ここでは、その短い⼀⽣が残した⾜跡を、特に、アメリカ留学時代と帰国後を中心に、彼と彼の周辺の⽇本⼈、アメリカ⼈などなどと共に紹介します。
「杉浦弘蔵と仲間らが編んだつながり」という意味でKozo Web(弘蔵のクモの⽷)です。